■早稲田大学2020年一般入試「世界史」問題文

 国民国家の形成に伴い、各地で国民意識の高まりやナショナリズムの動きがみられるようになったヨーロッパでは,19世紀後半になると第1インターナショナルなどの国際的な連帯を求め、国境を越えて協力しあう運動も盛んになった。
 そうした国際的な動きのひとつである国際オリンピック大会は.イギリスのスポーツ教育に影響を受けたフランスのクーベルタンが,ナショナリズムに対抗する国際主義の理念のもと提唱した。当時のフランスでは、都市の生活環境も改善し、近代的な都市文化か誕生し。市民文化が成熟しつつあった。そして、1880年代以降、第三共和政による支配が確立していった。そうした社会状況において、1894年にパリの万国博覧会に際して開かれたスポーツ競技者連合の会議で、クーベルタンはオリンピアの祭典を復活させようとよびかけた。ちょうど19世紀後半からヨーロッパでは、古代ギリシア遺跡に関する考古学的発見が相次ぎ.スポーツ愛好家たちによるオリンピックの復活の試みがアメリカ・イギリス・ギリシアなどで実践されていた。こうした状況から彼の提案は支持され,1896年に第1回国際オリンピック大会をギリシアのアテネで開催することに成功した。第2回大会は1900年にパリで開催され,その後4年ごとに開催されることとなった。
 このように国際オリンピック大会は,スポーツを通じた国際親善と平和を目的としている一方で,大会開催国に競技場の建設をはじめとしたインフラストラクチャーの整備など経済成長をもたらした。また,選手や観客が国民としての一体感や愛国心を抱くことは,各人が属する国家を意識するような国家主義と結びつきかねず,クーベルタンの理想に反して,ナショナリズムを強めることにもなった。